つぶやき |
◆ 恋愛感情 年をとっても枯れることなく湧きあがってくる うれしいような、せつないような。 |
◆ シャンプー ぼくも五木寛之をまねて洗髪などをせずに生きたい。 だが、この点にかんしてだけは家の者がうるさい。 |
◆ 『蓮如』 五木寛之の書いた戯曲を読んだ。 巻末に載せられた五木と三浦雅士の対談がお目当てだった。 三浦が下手に出て、五木が図に乗るといったところがおもしろい。 |
◆ 苗字 齊藤(戸籍どおり)はいまだになじめない。 小学生のときからつい最近まで「斉藤」になじんできた。 小学1年生のときは「藤」の字が書けなくて 同じクラスの斉藤小夜子さんという女の子に書き方を習った。 |
◆ 叱られて 小学1年生のときから廊下に立たされた。 入学してまもないころ、あの斉藤小夜子さんの服が気になって その赤い上っ張りを借りて、ちょっと着てみた。 それが先生(女性)に見つかって、懲罰。 以後、何度も立たされたが、理由はもっぱら「騒がしいから」 |
◆ 『戦後経済学史の群像』 野原慎司(東大)の著作(2020、白水社)を読んだ。 話の組み立てがうまく、頭がいいなあ、と思わせる。 ぼくと同世代の研究者なら、こんなに上手にはまとめられない。 |
◆ Apple ギフトカード ぼくのノートPC(MacBook Pro 2017年製造)はまたバッテリーが膨らんだ。 んで、トラックパッドは使いづらく、キーボードは打ちづらくなった。 が、修理するとなると一週間は使えない。 だから、Mac mini の新品を買うことにした。 いまなら新学期キャンペーンで「おまけ」がもらえる。 |
◆ 新しい Mac Mini あら、うれしや、新品が到着した。 さっそく使い始めて愕然。 音が途切れ、しかも雑音も混じる。 調べたら同じ不平の声、多し。(欠陥商品じゃん) |
◆ 問題点 Mac mini本体に問題はなかった。 サービスセンターに電話して、いろいろ指導・助言をいただいた。 音が途切れるのは、外付けスピーカーに問題あり。 なるほど、このスピーカー、鹿児島時代から二十数年使ってきた。 |
◆ ノートPC回収 予約どおり MacBook Pro を業者が取りに来た。 今後、いやおうなしに Mac mini を使わねばならん。 これまでのアプリはほとんど使えない。 文字入力の段階からさっそく苦労させられてます。 |
◆ 怪しい電話 固定電話に、変な外国人から電話がかかってきた。 英語なんだけど、ほとんど聞き取れず、理解できない。 ぼくの名前を呼んだりするから、なんかの情報があるらしい。 めんどくさいから、電話を切った。 クレジットカード利用停止の措置をすべきか? |
◆『百歳までの読書術』 津野海太郎の本(本の雑誌社、2015年)を読んだ。 内容は「70歳からの読書術」だったので いまのぼくにぴったりの本だったね。 |
◆『私のイラストレーション史』 南伸坊の自伝(亜紀書房、2019)を読む。 ぼくと同年なので、すべての話がおもしろい。 |
◆ 老人の特権 春うらら、暖房なしでも部屋は暖かい。 午後の大半をうたたねで過ごす。 |
◆「アメリカン・ユートピア」 デヴィット・バーンの公演記録映画を、再度見る。(昨年6月に見た) 客は多くなかったが、10回目という人もいた。(耳に入った) いや〜、まったく、再度見るにあたいする映画。 |
◆ バーガーキング 20年ほど前、韓国に行ったとき、はじめて食べた。 そのころ、日本では食べられなかったんで、ちょっと感動した。 あのね、ぼくの舌ではとてもおいしく感じられたのよ。 いま、国立駅前にも店ができ、前を通ると少し心ひかれる。 |
◆ 事物の名前 散歩して、そこらで見かけるのは「石ころ」や「草」にすぎない。 だから、地質学にくわしいタモリがうらやましいし 俳句を作る人たちが草花の名前を知ってることもうらやましい。 ぼくはただ漫然と歩いているだけで、芸がない。 |
◆ 昔の歌 隣の公民館からリコーダーの合奏が聞こえる。 1950年代に流行った「真白き富士の根」(映画の主題歌らしい) ぼくの母がよく歌ってたから、ぼくも歌える。 |
◆ 粋狂 すんごく久しぶりに雨が降ってる。 それでも散歩に出る。 ようやく習慣化してきたので、やめられない。 |
◆ お風呂で本を読む 浴槽に半分フタをし、そこに両手を乗せて本を開く。 ところが、お風呂は気持ちよく、すぐに眠たくなっちゃう。 だから、読書はなかなか進まない。 |
◆「長江哀歌」 録画しておいた中国映画(英題:Still Life, 2006)を見る。 2006年、ベネツィア映画祭で金獅子賞をとった作品で、前から見たかった。 三峡ダムで水没する街の物語。 貧しい人々の生き方に、しみじみとする。 |
◆ マイナスはプラス Webページ「日経ビジネス」をときどき読む。 「注意力散漫は創造力の源」なんて記事に、にんまりする。 小学生のころは「注意力散漫」でやたら叱られたからなあ。 ぼくは今で言う「多動児」に近かったような気もするが これも現在では肯定的に評価されたりする。 |
◆ くにたち この町で学生時代・院生時代、十年、過ごした。 定年退職後、またもどって、十年過ごしている。 大通りはもちろん路地裏もすっかり変わった。 だから、散歩しても、たいして味わい深くない。 |
◆ 散髪 モノレール立川駅のなかにある格安床屋に入る。 手際が良いので感心した。 これでぼくはホームレス風から普通のさえない老人に変身。 |
◆ 墓参 母親の墓がある奥多摩霊園へ、殊勝にも行く。 すごい山奥だ。 この霊園、このごろは樹木葬とかで繁盛してるみたい。 母の墓はふつうの山肌に小さな石を置いただけのもの。 ぼくもその石に、黙って水をかけただけで帰る。 |
◆ 縮んだ? 身体測定を受けたら身長 175 cm だと言われた。 ぼくはこれまでは 176.5 cm だと思ってた。 いましがた、こっそり(甘めに)計り直したら、176 cm。 |
◆『求道と悦楽』 入谷義高の本(岩波現代文庫、2012)を読むが、これが大当たり。 気まぐれに、何の前知識もなく、この本を手にとった。 中国文学の研究者が、むずかしいことをむずかしい言葉(なにしろ漢文)で 語っているのに、みょうにわかりやすく、感動させられた。 巻末の対談「このひとに聞く」で、さらに感心させられる。 研究者の勝負所は「感性」だという。 |
◆ お休み予告 つごうにより明日の「つぶやき」は休みます。 明後日はたぶん大丈夫。(謎は謎のまま) |
◆ 「愁いのなかに生を尽くす」杜甫 入谷義高の本、二冊目『自己と超越』(岩波現代文庫、2012)から引用した。 この二冊はどちらも随筆集。 研究者としてとんがっているひとは、随筆や講演もすばらしい(ことが多い)。 こういうひとが日本にいた(1998年没)っていうのがすばらしい。 |
◆ 思い出のよすが 友人が長崎市の医師会報に書いたものを送ってきた。 学生時代、オンボロバイクで九州一周した話。 日記が手元にあるらしい。 ぼくにはそういうものがない、(1993年の鹿児島水害で流された) 日記とかがあれば、こまかいことどもでしみじみ懐かしがれるのに。 |