つぶやき |
◆ やせ型 病気のおかげで体重が減って、顔もほっそりしてきた。 この体型を維持したいような気もする。 ま、食も細くなってきたので、それも可能かな。 |
◆ うたた寝 西陽さす部屋だが、このごろは陽光の暖かさが気持ち良い。 午後はもう眠たくてしょうがない。 現代中国の小説家・張平の作品『十面埋伏』は評判通り面白いが それでも途中で寝ちゃうんだよね。 |
◆ ぎっくり腰? 朝、古新聞の束を抱えたのが悪かったのか? 昼頃は、チクチクする痛みにすぎなかったのに 夕食時には、椅子からすぐには立ち上がれない。 部屋のなかにも杖をもちこんでいる。 |
◆ 養生 椅子に座って、じっとしてる分には腰は痛くない。 だから終日、部屋にこもっている。 |
◆ テイクアウト みんな忙しくしているので、弁当が買われる。 好まれるのは大きなナンがつくカレー屋の弁当だ。 ぼくはまだ動けず、それを家で待つだけという情けなさ。 |
◆ お祭り 駅前には屋台が並んでいるらしいが、行かない。 かつて市民祭と大学祭が合体してたころは一回りしたものだが。 |
◆ 使い慣れないケータイ i Phone いまだにうまく使えないので、基本的には持ち歩かない。 ただ、外で倒れたばあいを考え、心が弱っている時には持ち歩く。 |
◆ フィンランド映画 動画サービス Prime Video でカウリスマキ監督の作品をたてつづけに鑑賞。 病院にいるときに見られればよかったなあ。 あんときは「技術的な」問題で見られなかったので、次からは……。 |
◆ 淡い記憶 田舎の友人から電話をもらって昔話。 高校時代のガールフレンドの話も出たが、なんだか顔が思い出せない。 |
◆ 寒い 厚めの毛布をかけて寝る。 幸せな気分になる。 安上がりのジーさんだ。 |
◆ 長めの散歩 一昨日より昨日、昨日より今日のほうが遠くまで歩いた。 といっても、その差はせいぜい1ブロック。 ひとつ先の曲がり角まで足を伸ばしただけ。 |
◆ 美食 都内に住んでる幼稚園時代の友人が電話があった。 おいしいものでも食いに行こうぜ、という。 しかし、ぼくはもうこのごろ、あまり食い意地は張ってない。 |
◆ 読書会 高齢男性3人が公民館便りで「本を読む会」への参加を呼びかけている。 集まっても議論はせず、ただ交互に音読するだけらしい。 ぼくが10年まえに参加した公民館での「哲学の会」がまさにそれだった。 当時、しばらくおつきあいした後に脱会したが、いま思えばそれなりに意義があったかな。 家でほとんど会話しない老人には、声を出す機会が必要だろう。 |
◆ Filmarks いくつも存在する動画配信サービスのどれを利用したらいいのか教えてくれる。 これを知ったおかげで検索がすごく便利になった。 国際映画祭ごとの受賞作、国ごと、年代ごとの作品がリストアップされ それが無料で鑑賞できるかどうかも教えてくれる。 なんだか、見たい映画がたくさんありすぎて弱っちゃう。 |
◆ そぞろ歩き そこらへんをあてもなく散歩する。 ぼくの場合、靴底がずりずりこすれる音がなんとも興ざめ。 できればトレッキングシューズを履いて、落ち葉を踏みながら 近所の森を歩きたいのに、その靴はいつのまにか捨てられてしまった。 |
◆ 駅の階段 ひさしぶりに都心に出る。 途中、JRの駅で乗り換えをするのだが、冷や汗もの。 ぼくが手すりにつかまって階段をそろそろ降りていると 後ろからたくさんの人が、ドドドっと押し寄せてくる。 |
◆ 口さびしい 少食が習慣化してきた。 なのに、昼食前とか夕食前に何かちょっと食べたくなる。 買ってそのまま放置してきたグラノーラを少しずつ摘んで口に入れる。 |
◆ 絵心(えごころ) 都心での集まりにでた人〈先輩)から建物の写真が送られてきた。 おそらくケータイで撮った画像だろうが、けっこう構図がいい。 ぼくがデジカメで撮る画像はきまって凡庸だが センスのある人はこんなふうに何を撮ってもステキだね。 |
◆ トマト缶 買い置きがたくさんあるのでトマト粥をつくろう。 缶詰を開ければ中身を残すわけにはいかないので ずいぶんたくさんできちゃう。 この家ではぼくのつくった料理は誰も食べないので ぼくがひとりで処理するしかない。 |
◆ 体が重い パワーが減退している。 出歩く度にそれを実感する。 赤血球の量が減ってるってこともないらしい。 気のせいでもないみたいだし、ねえ。 |
◆ 張平(ちょう・へい) 現代中国の作家で、すごくおもしろい小説を書く。 ぼくは『凶犯』『十面埋伏』を読んですっかり興奮させられた。 もっと読みたいが、翻訳はこれ以外にない。 翻訳がされない事情が何かあるのだろうか。 |
◆ 体の弱り 歩いてる途中に立ち止まると、よろけそうになる。 家の中でも直立して体の向きを変えるとふらつく。 |
◆ 足の運び かつては特に考えることもなく階段を降りていた。 いまは恐る恐る一段ずつ降りている。 それでも、一人で降りられるからまだましかな。 |
◆ 下降の途中 体力よりも頭脳の働きのほうが衰退が著しい。 しかし、それが自覚できるのがわずかな救い。 |
◆ 一橋祭 この町内で学園祭をやってるが、行かない。 見たいものといえばせいぜい学生プロレスぐらいだからだ。 →学生プロレス公式 Twitter |
◆ 音楽は知久寿焼 2021年の邦画「川っぺりムコリッタ」を見た。 映画はともかく音楽がすてきだった。 映画では泣かなかったが、この音楽にはしびれた。 →一部紹介します |
◆ 知久寿焼の力技 たまというバンドがバッハの曲を合奏する。すばらしい。 →4台のチェンバロのための協奏曲(BWV1065) |
◆ 衰え 一人で歩ける距離がだんだん短くなった。 そこらをちょっと歩いただけでへたばっちゃう。 いわゆるスタミナ食をとれば本当に元気になるんだろうか? |
◆ 包括支援センター この町は貧乏なので福祉サービスはかなり低レベル。 よそなら普通に備えているリハビリの施設もない。 いちおう相談しようと電話したらケアマネージャーは出払って留守。 折り返し電話させます、とのことだったが、かかってこない。 |
◆ 原作本 邦画『川っぺりムコリッタ』の原作の小説を読んだ。 小説は3時間ほどで読めちゃうが、味わい深い。 英映画「ベロニカとの記憶』(2017)も良い映画だったので原作を読むことにした。 原作「The Sense of an Ending」はイギリスで2011年にブッカー賞を受賞。 作者はジュリアン·バーンズで、邦訳は『終わりの感覚』(2012,新潮社) |