東京大学新聞(99.6.15号)での書評

by【肉】

アウトノミア運動に思想的支柱

 アウトノミア運動というのをご存知だろうか。アウトノミアとは自律(英語のオートノミー)を意味し,学校・工場・街路での自治権の確立のみならず,「労働の拒否」やスクウォット(空家占拠),自由ラジオ(海賊放送)などユニークな実践に発展した新しい社会運動のことだ。日本では六〇年代末から収束へ向かう学生や労働者の反乱はイタリアではかなりの長期間に及び,七〇年代後半にピークを迎える。その中で資本の機構を介した労働や組織(代議制)に対する根本的な疑問が付され,「今ここ」での解放や創造的活動を志向するこうした運動が生まれたのである。ヨーロッパの政治や文化に与えた影響は大きく,今も一定の広がりを持つという。

 日本で労働の拒否といえば「だめ連」,スクウォットといえば京大で取り壊し前の今西錦司記念館を学生らが「きんじハウス」と名づけ占拠した数年前の事件が思い浮かぶ。自治を掲げる駒場寮運動も当然アウトノミア運動と呼べるだろうし,ごくごく広い意味にとれば,スクウォットとも言えるかもしれない。

 イタリアを代表する政治哲学者であるネグリは,この運動の理論的指導者である。彼はあるテロ事件の関係者という冤罪で四年半の問未決のまま拘留され,八九年に監獄の中から国会議員に当選し出獄する。その後フランスに十四年間亡命するが,数百人にのぼる獄中あるいは亡命中の仲間を代表し七〇年代の政治的弾圧に「歴史的な決着」をつけることを求めて九七年に自発的に帰国,再びローマの刑務所に収監された(ごく最近「監視つきの自由」を享受できるようになったようだ)。そのネグリのライフワークが本書である。

 「構成的権力」は「憲法制定能力」とも訳され,一切の法の源泉とされる力である。しかし近代法学においては一旦法の体系が確立されるやこの力は用済みとされ,いわば去勢されてしまう。それに対しネグリは,この「構成的権力」が近代政治思想の中でどのように表現され取り扱われてきたのかを通覧しながら,あらゆる限定を受け付けずそのつど全てを刷新する潜在力という独自の概念へと練り上げてゆくのである。その際にもっとも多く参照され,また重視されるのはマキャベリの「力量」,スピノザの「多数性」,マルクスの「生きた労働」の概念である。

 この力の強靭さ,創造性,未来へ開かれた時間性が絶えず強調されるところに,アウトノミア運動に再度理論的な表現を与え今後の新たな展開を期待するネグリの意気込みが読み取れる。用語のわかりにくさもあり決して読み易くはないが,元気の出る本だ。