資料5

佐賀はまた別の道


 人口23万人の佐賀市にも小さな映画館がある。そのおかげで,九州・沖縄の県庁所在地にミニシアターがないのは鹿児島市だけという「不名誉」ぶりがいっそう際だつことになる。

名はシエマ CiEMA

 佐賀の映画館「シアター・シエマ」は,小さいといっても80席+125席の2スクリーン。りっぱなものである。
 2006年に閉館した佐賀セントラルを改装し,3スクリーンの一つを減らし,その空間をカフェ(無料休憩も可)に変えた。なかなかおしゃれな造りになっている。(2007年12月にオープン)
 シエマとは,シエロ(スペイン語で空の意)とシネマを合成したものだそうだ。ここらへんはややおしゃれ臭が気になるところだが,それはまあ,あちらの勝手である。
 場所は昔の繁華街の一画。ただしJR佐賀駅から歩けば,けっこう遠い。鹿児島中央駅と天文館の関係と同様,JRの駅と繁華街はほとんどつながりを持たない。そうした通例を忘れたわけではないが,初めての街は歩いてみるにかぎる。街の「すたれ具合」を確かめながら歩いた。
 昔の繁華街,呉服町は,久留米市(人口は佐賀と同程度)の六ツ門商店街よりも「さびれ方」が進んでいた。老朽化したアーケードは,修理もできず,この5月から撤去作業が始まるという。その商店街の協同組合は,立体駐車場建設のさいの借金(全16億円で,県からの融資4億円のうち3億8千万円)を返済できず,昨夏,とうとう自己破産を申請したのだ。(鹿児島市の天文館シネコン計画の先行きを暗示するような話ではある)
 たしかに見た目には,いかにも元気なさげな商店街であったが,どん底ゆえの開き直りがあちこちで感知できた。たとえば,3月末の「さよならアーケード」イベントでは,4千個のキャンドルが点された。ひなまつりでは,各商店の店先に各家所有の「おひなさま」が飾られた。とにかく,安上がりでできることは何でもやろうという構え。
 それは街づくりのために,ヨソモノ・ワカモノ・バカモノを「本気で」利用しようとすることにもつながる。この3「モノ」が市街地活性化のカギであることは,かなり前から日本全国どの地域でも「常識」として語られてきたことであるが,それを「本気」にして受けとめたケースは稀である。
 シアター・シエマは,実にその3「モノ」が一体となって実現した。

69'ers FILM

 シックスティナインではなく,シックスナイナーズと読むらしい。西日本各地のカフェやギャラリーなどに出向いて上映する「移動式映画館」を運営する会社で,拠点は福岡市にある(この4月18日,鹿児島の小さな絵本美術館アルモニで「幻の活動大写真」を上映したのもこの会社)。その代表,芳賀英行さん(30代半ば)が自ら佐賀に乗り込み,シアター・シエマを開き,そこに経営者として常駐している。
 支配人の重松恵梨子さんは20代半ばだから,やっぱりめちゃくちゃ若い。東京の阿佐ヶ谷から越してきた立派なヨソモノである。(しかし,昨年4月から朝日新聞の佐賀地方版に「シネパラダイス」という随筆を,すでに1年以上,毎週連載し続けており,いまでは立派な「地方文化人」)
 男性スタッフ2名も福岡からの転入者ゆえ,まるごとヨソモノ集団だといえる。
 芳賀さんは,田井肇さん(大分のシネマ5支配人で,ミニシアター全国連盟=シネマシンジケートの副代表)を介して佐賀の自主上映活動グループ「街なかキネマさが」と出会った。「街なかキネマさが」の面々は閉館した「佐賀セントラル」再開を願望しながらも,経費や常駐スタッフの問題で足を前に踏み出せない。そこで,芳賀さんは福岡県人らしく(あ,筆者もそうなんですが)つい手を挙げてしまった。本人は「おとこ気」を出したつもりだろうが,つまりはバカモノである。
 そうと決めたら,もう,自分の好きなようにやる。フツーの映画館ではなく,プラスαの開放的な空間をつくりたい。人が集まり,人が交流する,そのネットワークの核になりたい……。
 そもそも芳賀さんは学生時代から映研とかとは無縁の人だった。つまり,マニアックでマイナー志向の,映画一筋の人ではなかった。ただインディーズ系の映画のおもしろさに気づき,そして,その観客の少なさに「もったいなさ」を感じ,いろんな人に観てもらう環境づくりができれば,世の中はそのぶんだけ楽しくなるかも,と考えた。
 その考えの下,シエマはコミュニティスペースという性格づけがなされる。広いロビーはカフェとして使われ,絵本や小物類の売り場ともなり,コンサートも開かれ,また絵本の読み聞かせも催される。
 もちろん映画は,支配人の重松さんが厳選した「非売れ筋」の作品が上映される。
 TMO佐賀(佐賀商工会議所)の伊豆哲也さん(タウンマネージャー)は,このシエマのコンセプトにしびれた。金は出せないが,深く心を寄せる。自分のブログで「ヨソモノの心意気に乗っかりましょうよ」と呼びかける。

確執?

 芳賀さんは2007年夏の全国コミュニティシネマの集会で,これから活躍する人として紹介された(私も会場で拍手した一人)。
 しかし,この全国組織の代表的な方々=堀越謙三さんや田井肇さん(それぞれ,シネマ・シンジケートの代表と副代表)とはミニシアターづくりのコンセプトが異なった。シアター・シエマの形ができあがると,芳賀さんはこうした方々から映画に対する「純粋さ」が足りない不届き者と見なされた。カフェの(つまり,遊びの)比重が大きすぎるのだ。カフェの端にDJブースがあったりするのを見とがめられ,難詰された(ような気がしたらしい)。
 一方,芳賀さんにとって,居心地のいいカフェはきわめて重要な要素であった。芳賀さんは朝日新聞の記者にこう語っている。「業界から見れば、作品の内容でなくカフェで勝負する映画館は邪道でしょう。でも、スクリーンもカフェも含めたサロンのような“空間”として発信したい」(2008年12月8日付)。質も高く趣味の良いイスやテーブルを備え,そこに居るだけで豊かな気分になれるような空間作りが目指された。映画鑑賞後の語らいの場にもしたかった。他人が語る「うんちく」に耳を傾けるだけでも「勉強」になるかもしれない。
 こうして映画館の「方向性」の面でズレを感じた芳賀さんは,田井さんたちが呼びかけた九州内のシンジケートに参加しなかった。組織の論理,運動の論理みたいなものを感じ,怪しんだからだ。
 すると,おもしろい現象が発生する。
 自主上映活動グループ「街なかキネマさが」を構成した1集団「チネチッタ」は,シエマ開館後も定期的に自主上映会を催し続けるのである。これは純粋に映画だけを楽しもうとする対抗勢力のように見える。じっさいには,確執などないかもしれないが,一見,ヨソモノの若造に対して地元の古参が「本当の映画好き」の真骨頂を見せつけている形だ。(ただし,「街なかキネマさが」の代表だった大歯雄司さんは静観の構え)

シネコンとの共存

 チネチッタは20年前から毎月のように自主上映会を開いてきたのを誇りとする。その主宰者,中溝好生さん(1946年生)は若造(芳賀さん)が生まれた年に佐賀で映画サークルを立ち上げた人。その後,古湯映画祭(今年で26回目)の立ち上げにも関わった。中溝さんはシエマに敵対的でもないが,シエマができて安心立命したわけでもない。
 このチネチッタの活動も,われわれ鹿児島の人間には参考になる。
 自主上映会を郊外のシネコン(イオンシネマ)の1スクリーンを借りて行っているのである。月に1日だけ借りるなんてこともできるらしい。
 おもしろいのは作品のラインナップだ。シエマで上映してもおかしくない作品が並ぶ。2008年の10本を列挙しよう。
 1月:腑抜けども悲しみの愛を見せろ
 2月:ある愛の風景
 3月:この道は母へと続く
 5月:君のためなら千回でも
 6月:実録・連合赤軍 
 7月:光州5.18
 9月:アウェイ・フロム・ハー
 10月:つぐない
 11月:言えない秘密
 12月:12人の怒れる男
 これを眺めると,ただただ自主上映会を続けたい一心,映画愛の一徹ぶりがうかがえ,頭が下がる。

結語

 佐賀のような小都市,しかも福岡へ映画を観に行くのも容易な街ですら,このように複雑で怪しい動きがある。
 鹿児島よ,このままでいいのか?

(鹿児島コミュニティシネマ通信・第15号=2009年5月号所収)