はじめに
本稿は、筆者が地域あるいは商店街の活性化という問題意識をもって沖永良部島に赴き、和泊町の商店街「みじらしゃ通り」を眺めて考察を加えたものである。
もちろん、当初のもくろみはそこに「成功事例」を発見することであった。いわゆる「まちづくり三法」をめぐる議論のなかで最近しきりに喧伝される「コンパクトでにぎわいあふれるまちづくり」の、原初的なイメージが和泊町で得られるかもしれないと期待されたからである。
以下では、筆者が「みじらしゃ通り」に期待をいだいた理由、そして全国の商店街問題の一縮図をそこに見たことを述べていきたい。しかし同時に、沖永良部島は「コンパクトでにぎわいあふれるまちづくり」に欠かせない「コミュニティ機能」回復のてがかりを与えてくれているようにも思われる。島の歴史民俗資料館で紹介されている「一重一瓶(いちじゅういちびん)」の習慣である。これは奄美諸島に共通する習慣のようだが、いずこでも衰退し、影は薄くなっていると聞く。そこで、この習慣のもつ意味と地域活性化の意味を重ね合わせながら、和泊町みじらしゃ通りがわれわれに教えてくれるものを最後に語りたい。
1.沖永良部島における郊外大型店問題
日本の古いことわざに「千軒あれば共過(ともすぎ)」というのがある。共過とは「持ちつ持たれつ世を渡ること」で、この諺は「家が千軒もある地域であれば、ひとつの経済圏が成立し、住民は生計を立てていける」ことを意味する。
島外者が奄美諸島(あるいは離島一般)に対して抱く一種の幻想のようなものの根拠もここにある。離島では、昔ながらのコミュニティが存在し、濃厚な人間関係をベースに、互いにもたれあうような商売が成り立っている、と思われるのである。
しかも、こうしたコミュニティ観が最近では「まちづくり」アイデアの基調をなすようになっている。大型店の出店によって商店街が衰退するという問題は、地域のコミュニティ機能の停滞による人間関係の希薄化の問題として語られる。すなわち、そこでは「住民のまちに対する安全・安心への危機感、まちの誇りの喪失が生じて」くるとされる(注1)。そこにこそ大問題があるという認識が広まりつつある。ひるがえって考えると、商店街にコミュニティとしての魅力が回復されれば、郊外大型店との共存共栄の道も開けてくる。この観点から離島の商店街をあらためて眺めてみると、かつて後進的と見なされた部分が逆に「先進事例」として見えてこないだろうか。最近しばしば沖縄県の本島や離島が各種メディアで取り上げられているのも、こうしたコミュニティ観の拡がりと無縁ではない。
戸数が千軒程度、昔風に計算すれば人口5千人程度の「まち」あるいは「むら」では、日常的に人と人とのふれあいがあり、ともに助け、ともに楽しむ人間関係が成り立っている(はずである)。これを幸せと呼ばずして何を幸せというか……、モノの豊かさは必ずしも人々に幸福をもたらさない……などなど、幸福の観念もいささか変化してきた。心のうるおいを求める風潮は、田舎の暮らしを称揚する傾向につながる。
鹿児島の地域研究もこの波に乗るべきだ、と思われた。地域研究に求められるものの一つは成功事例の紹介だからである。全国の多くの人々が、地域活性化のヒントになるようなものをつかみたがっている。ほとんど成功とはいえないようなケースまで化粧をほどこして紹介している本がけっこう売れていたりする。そこへ来て、昨今の離島ブームだ。とりわけ、沖永良部島は花ん人(はなんちゅ)の島といわれ、花卉栽培農家の豊かさが島の全体におよび、商店街もそこそこ潤って、おだやかな相互もたれあいの経済生活がそこに見られるのではないか。つまり、突出した「成功例」の一つがそこに見られるかもしれない、と期待された。
沖永良部島の和泊町は人口8千人弱(もうひとつの知名町もほぼ同数)。みじらしゃ通りはその「まちなか」にあるメインストリートである。「みじらしゃ」とは「珍しい」から転じて、「おもしろい、興味深い、にぎやかな」を意味すると聞く。今でも年に一度、8月の「港まつり」のときは大勢の見物客でにぎわう。
この通りがわれわれにとって興味深いのは、つぎの三つの理由による。
- 離島であるから、消費者は外へ逃げにくい(と思われた)。
- 島であるから、濃厚な人間関係で商売も成り立つ(と思われた)。
- 郊外に大型スーパーがあっても、平然と持ちこたえている(と思われた)。
大型店とは1997年にオープンしたAコープ和泊店のことである。このAコープは奄美諸島はおろか鹿児島県内で最大の売上高(年間約17億円)を誇る。しかも、この和泊店はもともと「みじらしゃ通り」のなかにあったが、それを移転させて、規模もおよそ8倍化させたものである(総敷地は約8400平方メートル、売り場面積は約1800平方メートル、そして約200台分の駐車スペースを備える)。

つまり、みじらしゃ通り会(46の商店から成る)にとってAコープはきわめて大きな脅威であったはずである。ところが、通りを歩けば、たしかに通行人は少ないものの、俗にいう「シャッター通り」の様相はまったく見られない。その点で、われわれはこの通りを「成功した商店街」の系列に入れてみたくなるのである。小舟が暴風に遭遇しながらも難破せずに生き延びた、といったイメージも浮かぶ。生き延びている理由のようなものが明らかにできれば、全国各地に見られる危機に瀕した商店街の「救命」に役立つはずだ。こうして、われわれは多少ともワクワクした気分で調査を始めたのである。しかし、くりかえしていえば、結果はそれほど甘いものではなかった。

じっさい、Aコープ和泊店がオープンした前後、地元紙「南海日々新聞」「大島新聞」にはそれが商店街の死活問題であるといった記事が並ぶ。和泊町商工会は農協にたいして店舗規模の縮小などを要請したり、大福利雄さんを委員長とする「Aコープ緊急対策実行委員会」を立ち上げたりしている。しかし、当時は全国的にも大型店舗の出店ラッシュで、規制緩和の大合唱が響くなか、本気でその流れをくいとめようとする者、あるいは流れを抑止できると信じていた者はどれだけいただろうか。実行委員会の会合に招かれた大阪の経営コンサルタントは、このままだと商店街は壊滅状態になる恐れがある、と指摘したが、ではどうするかとなると、これまで以上の自助努力を求めるにとどまる。
島から客が逃げないという「好環境」に甘えて、サービスの充実をとくに追求してこなかった商店主たちが、危機に瀕して急に「本気」になることはありうるだろうか。せいいっぱい対策を考えても、スタンプ会の導入あたりで行き詰まる。もちろん、一部の「先進的」で積極的な商店主たちは、スタンプ会や各種イベントの立ち上げなどを企て、呼びかけ、そして下支えから実行まで、ありとあらゆる場面で力をつくす。しかし、それは商店街(通り会)全体の動きにはならない。
商店主たちも、自分自身が消費者の側にまわったときは、おしゃれな衣料品をはじめ豊富な品目をそろえた大型店の存在をありがたがっている。つまり、危機に立ち向かうには「商店街全体の取り組みしかない」と口先では語りながらも、通り会の団結は当初から困難というより不可能であることが本音のところではわかっていた。
みじらしゃ通りについて、私は2004年の12月中旬、和泊町に住む方々を相手に聞き取りをした。私のいわゆる「先進的」な商店主とは「食鮮館ひご屋」の肥後忠仁さん、「ショッピングセンター・ワコー」の南好二さん、「ディスカウント山口」の山口入武さんなどである。これらの若手経営者たちは「本気で」活性化に取り組んでおられた。しかし、同時に商店街全体を動かすことがいかに難事であるかも、彼らの話の端々からうかがいとれた(注2)。また、「ファミリーショップ大福」の大福利雄さん(かつての「Aコープ緊急対策実行委員会」委員長)は彼らよりかなり年配であるが、ビジネス本あれこれをよく読んで、経営のノウハウを勉強し、ビジネストレンドへの目配りも怠りない。そうして、全国流行の百円ショップを、まさしくAコープのそばに作られた大福さんはみじらしゃ通りと郊外の動きの両方をにらむポジションに立つ。
しかし、こうした「先進的」な活動の問題点は、いずれも全国的な傾向の後追いになっていることである。もちろん島の個性を十分ふまえた上での活動ではあれ、主眼は全国の成功事例に学ぼうとする点にある。私が思うに、それでは「おもしろくない」。つまり、みじらしゃ通りの個性はむしろその「後進性」にあるのだから、個性を否定して活性化を志向すると、全国各地で見られる行き詰まりを再現する結果になるだけかもしれない。
2.全国的な傾向との対比
活性化をめぐる「行き詰まり」は、まちを活性化するということの意味が不明瞭になっていることからもたらされる。たしかに、もともとは単純であった。すなわち、活性化とは昔のにぎわいをとりもどすことだとイメージされた。ところが、少子高齢化がいわば不可逆的な流れなら、昔のようなにぎわいの回復は至難の業と化す。したがって、一過性のイベントを上手に仕掛け、一瞬のにぎわいがつくりだされれば、しばらくのあいだはしみじみとした気分を味わえる。しかし、本来のねらいがまちの輝きの持続にあるならば、いずれのイベントもあらかじめ失敗が約束された企てにすぎないといえる。
ここにいたって、まちの何がどうなればまちが活性化したといえるのか、誰にも確たることがいえなくなる。
もちろん、世間で喧伝されている「成功例」には、おしゃれな通りをつくったり、レトロな通りを活用したりして、新たな来街者を獲得するケースとか、空き店舗などを若者に使わせて通りの若返りを演出したりするケースなどがある。数少ない「成功例」でも、それに追随する企てはさぞかし多かろう。何がどうなれば活性化したといえるかわからないので、とりあえずよその成功をまねしたくなるのは当然だ。
しかし、われわれは一体何をどうしたいのか。まちのどこがどうなれば幸せなのか。その根本のところを見定めたいのである。
その点で、和泊町のみじらしゃ通りは絶好のモデルとなりうる。なぜなら、新たな来街者を増やす形の「成功例」や、新しい店舗経営に参入する若者を得て若返る形の「成功例」などと、そこはほとんど参考にならないからである。つまり、模倣すべき成功例がよそでなかなか見つからない点がすばらしい。まちづくりの根本のところからの考え直しが必要になってくる。逆に島外者にとっては、そこが「参考」になる。
さて、全国的な傾向をあらためて眺めてみると、大型店舗進出による中心市街地衰退という往事の「流行」と昨今の様子はいささか異なっている。すなわち、このごろは大型店の閉店があいつぎ、その空き店舗が大きな問題となっている。郊外大型店がまちなかの商店街をさびれさせたあと、その大型店自身が撤退することで地域住民にとって旧に倍する不便さをもたらす。
そこで政府も大型店に関する政策の見直しをせまられているわけだ。2004年9月から、産業構造審議会流通部会と中小企業政策審議会経営支援分科会商業部会の合同会議が開催されている。12回目の会合のあとで出された「中間とりまとめ(案」」(2005年9月)は、その冒頭で、状況の変化についてこう明言する。
まず、「大規模小売店舗の出店の在り方を律する法的枠組みは、「大型店VS中小店」という問題から、「中心市街地VS郊外」というまちづくり全体に関する立地場所の問題に変化してきた」
1998年からのいわゆる「まちづくり三法」への転換はこの変化に対応しようとするものであったが、しかし、「状況は必ずしも改善しているとは言いがたい。中心市街地が衰退することに伴い、《コミュニティの危機》とも言える構造的な停滞感・閉塞感をもたらしている」
こうして、いまや問題は地域における商業活動の盛り返しではなく、地域における人と人とのつながりの回復にあるとされる。「中間とりまとめ(案)」は、「にぎわい」というものをあらためてこう定義しなおす。すなわち、それは「人と人とのコミュニケーションの機会を増やし」「まちにコミュニティとしての彩りを加える」こととされる。こうして市街地活性化は、商店経営とか地域経済の範疇を超えて、きわめて社会学的なテーマと化す(注3)。
もはや大型店の存在それ自体は脅威ではない。ある場面では、大型店が中心市街地の活性化に役立ったりする。したがって、今後は中心市街地あるいは商店街そのものが、いかに地域にとって有意義な存在であるか否かが問われる。イベントを仕掛ける場合でも、それへの取り組みをとおして世代を超えた人間関係ができ、イベント終了後もながく続く人づきあいの輪ができて、その地域で生きることの喜びと誇りの感情が育まれ、その感情を共有することで地域への帰属意識がさらに堅固となる。それが求められる。
「中間とりまとめ」は、コミュニティを「人々が帰属意識を持つ集団・場」と定義したうえで、地域コミュニティ礼賛を続ける。いわく、「このコミュニティという魅力は、車での移動を前提とした、顔なじみの少ない郊外の大型店にはまねることのできない優位性である」。そして、地域コミュニティは「商業に限らず、歴史・文化・防犯・防災・介護・保育・教育・環境等の分野も含めた価値」を創造していくとされる。もうほとんど手放しの誉めようである。
コミュニティはお役所(地方自治体)が好む言葉として全国に拡がり、いまでは手あかにまみれて、口にするのも恥ずかしいほどのものになった……。と思われたが、最近あらためてその御利益が語られはじめた。コミュニティがすっかり衰退し、ついには崩壊してしまわなければ、そのありがたみはわからないからだ。どんな田舎にもコミュニティセンターはあるが、いまやどんな田舎でもコミュニティ機能は消滅しかけている。つまり、ようやくにしてコミュニティの「活性化」を本気で語らざるをえない環境ができあがった。
コミュニティが「ありがたいもの」と化せば、幸せな暮らしは大きな町より小さな町、そして「まち」よりは「むら」でこそ得られるものとなる。昨今の離島ブームや田舎ブームはそうした意識を顕在化させたともいえよう。これまでマイナスイメージで語られてきた地方生活(田舎での暮らし)が、逆にプラスのイメージを帯びてくる。
しかしながら、こうした発想の逆転は地方での生活者にとってあいかわらずの難事かもしれない。田舎の暮らしを「幸せ」だとは実感しにくい。なぜなら、青い鳥ではないが「幸せ」はいつだって外部にあるからだ。それは国の中央にあり、都会にある。清潔な暮らし、臭いにおいのない暮らし、虫もバイ菌もいない暮らし、人づきあいのわずらわしさのない暮らし、会話しなくても買い物ができる暮らし、高齢者をみかけない暮らし、闇夜のない暮らし、そういう暮らしが「幸せ」なように思いこむ。
こうした思いこみから脱却できれば、話はごく簡単になってくる。つまり、「幸せ」の素材はついこのあいだまでの暮らしのなかにあったのだ。レトロブームがほのめかしているように、何周かの周回遅れをとっている地域の方が資源に恵まれている。だから、地方人であるわれわれは開き直ればよいのである。胸を張ればよいのである。勝手に自らを誇ればよいのである。
矢作弘『大型店とまちづくり』(岩波新書、2005年7月)は、アメリカをモデルとする形で、誇りの取り戻しを訴える。
「アメリカ人は一般的に、《小さな町》に強いこだわりを持っている。自己決定、自己統治、自給自足の原則を実現するための世界は、できる限り狭く、小規模なことが望ましいからである。[……]
《小さな町》の中心商店街は、《わが町》のアイデンティティを担う大切な《地域社会資源》である。[……]
米国においては、まちづくりは国から権限を分け与えられる分権ではなく、地域の、本源的にして固有の権利である」(注4)
その矢作氏が日本の商店街を見る目つきは暗い。やる気のある商店主ばかりで構成される商店街は少ない、といい、圧倒的多数の商店街では「商機を窺う店主と、商売っ気を失った店主の間の溝が深く、そこの共通の利益を見つけ出すことは不可能に近い」という。その解決策として、氏は滋賀県長浜市(ああ、ここでもまたか、と各方面でおなじみのまちである)にならって、「意欲のある商店のみを結集する市民資本として商店街株式会社を設立すること」を勧めるのである(注5)。
3.停滞こそが味わい
にぎわいを「つくりだそう」とするから無理が生じ、商店主たちのあいだに溝ができ、とうとういずれの活性化策もまち全体をまきこむものとはならない。ときどきの祭(イベント)で「盛り上がり」をみせても、それは瞬時のものにすぎない。祭の準備や後始末で全体の人間関係が深まるわけではない。スタンプカード、ポイントカードの導入は消費の活性化を狙うに過ぎず、そして、その狙いすらもしばしば外れる。朝市やバザーの定期化、恒常化で人を呼びこもうとしても、その種の企てはこのごろ陳腐すぎて、ほとんどインパクトがない。空き店舗を活用しようと地権者に話をもっていっても、地権者にとっての御利益が見えなければ、なかなか承諾はえられない。などなど、全国各地の「まちづくり」は、じっさいのところ空振り続きなのではなかろうか。
成功事例の後追いをしようとすると、必ず失敗の山ができる。もちろん、失敗から学ぶという手もあるが、それは商店街活性化のために「何かしらをせねばならぬ」という気持ちがあってこその話。そして、その気持ちが商店主全体にひろがっているようなケースは皆無に近かろう。ほとんどは行政や、あるいは商工会、あるいは一部の「先進的」商店主が旗を振っているだけだろう。喉が渇いていない馬に水を飲ませようとしても、それはとてもムチャだと、誰もがわかっている。旗を振るのが仕事な人は旗を振るしかないが、うかつにも本気で取り組む人にはたいてい絶望が待っている。
その点をクールに見定めている本がある。マンガ混じりの軽便なビジネス解説本であるが、商店経営者にまつわる「謎」をきわめて明快に解き明かしてみせる。馬渕哲・南條恵『マンガでわかる良い店悪い店の法則』(日経ビジネス人文庫、2004年)である(注6)。
この本は、人通りもまばらな商店街、いつつぶれてもおかしくない店に目を向け、それがなぜ根強く生き延びているか、その不思議に迫る。
やる気のなさそうな店主たちについて、こう分析する。少し長くなるが引用しよう。
「専門家が商店街は停滞したり衰退していると言っても、実際には多くの店はまだまだ多少なりとも利益をあげることができています。たとえ売り上げがさがっても、店主自身や家族の労働を経費にしなければある程度利益が出るか、あるいはほとんど損をしないという計算が成り立つのです。現代の経営センスから言えばまるでめちゃくちゃな話ですが、実はこの一見採算を度外視したような計算こそが、多くの商店街をつくりだし、今日まで継続させてきた大きな力なのです。[……]店をやっていれば、たとえ金銭的な儲けは少なくても、誰はばかることなくのんびりと好き勝手に働くことができるのです。総合的には店を続ける方が店主夫婦にとってはずっと得になるので、なかなか店をやめる気にはなりません。[……]専門家たちが商店街の停滞や衰退を嘆いている一方で、商店街の店主たちはできるだけ働かないで楽に生きるという人間本来の生き方を実践しているのです」(注7)
こうした店主の望みは千客万来・商売繁盛ではなく、客がぽつぽつやって来て、すこしずつ買っていってくれることなのだ、という。ブラブラしていたら退屈だし、店を開いていれば、知り合いの客が来てくれる。
じつは、これはある意味では古典派経済学者J・S・ミルのいう「定常状態」に近い。すなわち、富の増大よりも労働時間の短縮にむかい、人生を享受する自由が増大していく状態で、資本主義経済はここへ行き着くべきとされた。つまり、停滞は悪ではない。むしろ、そこにこそ「社会的進歩」の可能性がある。進歩とは、物質的な豊かさや生活の利便性が増すことではなく、人々の生活の内実がもっと豊かになることだからである。
4.一重一瓶の思想
以上の考察をへて、ふたたび「みじらしゃ通り」に目を転ずれば、そこはもはや衰退の危機に瀕した暗い通りではなく、怪しいながらも何かしらの可能性を匂わせてくる。その「しょぼさ」加減がすばらしいのである。
つぶれそうでいてつぶれない、あの店この店の底力。この商店街は郊外にあらわれた強敵=Aコープ和泊店が多くの消費者を引きつけるようになっても、さほど痛痒を感じないかのように平然としている。
したがって、日本のあちこちで見られる「商店街活性化の企て」の後追いをするのは戦略的に誤りなのかもしれない。全体をまとまらせようとか、やる気をださせようとか、いくらがんばっても徒労に終わる。そういう努力はむなしい。かといって、先進部分だけで走れば亀裂が深まり、雰囲気も悪くなりそうだ。
みじらしゃ通りの「あるがまま」の状態、それこそが資源である。全体にみなぎるやる気のなさ、それも資源である。やる気を出せという旗振りをうさん臭がる、個人主義的な雰囲気も資源である。
では、何のための資源か。
それは新しいコミュニティを形成させるための資源である。新しいコミュニティは、いわゆる共同体規制の強い、かつての農村のようなコミュニティと異なる。また、都市やその近郊の団地などで、人工的につくられるコミュニティとも異なる。新しいコミュニティは、人々がそれぞれの都合で、めいめい勝手なことをしていながら、それでいて何かしらまとまりのようなものがある。まとまっているけど自由である。心の向きは分散していても、共通した帰属意識のようなものがある。
いま日本各地で見られる「商店街活性化」の企ては、その主眼たる「にぎわい」の意味を従来の通俗的な語義から大きくスライドさせている。すなわち、商店街が狙いとすべきは、かつてのような来街者・買い物客の増大ではなく、人と人とのふれあい、そこで暮らす喜び、そこで生きている誇り、そうしたものを増大させることである。産業構造審議会流通部会と中小企業政策審議会経営支援分科会商業部会の合同会議が出した「中間取りまとめ(案)」が訴えている「市街地のコミュニティとしての魅力」の増大は、まさしくこれと同じ方向のものである。
みじらしゃ通りの「強み」あるいは「偉さ」は、自らのそうした「可能性」を声高に主張しないことにある。もちろん、それは商店主たちに自分たちの「利点」がほとんど自覚されてないせいなのだが、その無自覚ぶりすらもまた美しい(注8)。
新しいコミュニティの形成能力を、沖永良部島の人々が隠し持っていることは、和泊町歴史民俗資料館の展示からもうかがいとれる。歴史民俗資料館では「一重一瓶」なる習慣が紹介されている。インターネットで検索すれば、「一重一瓶」の習慣は沖永良部島にとどまらず、奄美諸島に共通して存在する。しかも、どこでもおしなべて廃れているらしい。
さて、この「一重一瓶」とはどういうものか。それはめいめいが料理(重箱)と酒(瓶)を持ち寄って宴会を開くことで、ホームパーティーのようなもの。いまでも墓参りや親族の祝い事などのときに開かれることがあるらしいし、親族ばかりでなく集落の集まりにも時として一重一瓶のスタイルが用いられる。しかし、その本来的な意義は、格式張らぬこと、排除の原理でなく歓待の原理が支配すること、したがって出入り自由であること。つまり、参加したい人がそれぞれの都合にあわせて参加し、そして勝手に退出することも許される。個々人の自由が十分に保証され、しかも全体に「なごみ」の空間ができあがり、集合体に帰属する喜びのようなものも味わえる。これはアナーキズムのひとつの理想的な形態ともいえる。
奄美の諸島に存在したこの習慣について、民俗学者の蒲生正男はつぎのように解説している。
「休養を兼ねて最大の娯楽であるシマの宴会が、特定の会費や部落経費でまかなわれるのではなく、また有力者の寄付に頼るものでもない。個々人の自由と責任のもとで行われるものであり、土地所有における平均的細分化、労働組織の自主的形成として特色づけられる奄美の生産と労働の社会的性格を象徴するものこそ、この『一重一瓶』である」(注9)
みじらしゃ通り会の分散的なムードが、じつは新しいコミュニティのために資源ともなりうる、と私が述べてきたことの根拠もここから見えてこよう。新しいコミュニティは、人々の分散と集合がほどよくブレンドされている。相互監視型でもなければ相互無関心型でもない形態である。そこで生きる人々は、さほど窮屈でもなければ寂しくもなく、微温的でダラダラとした平和を享受する。特段の盛り上がりもないかわりに悲惨なまでの落ち込みとも無縁である。
一重一瓶の思想は、みじらしゃ通りの、あるいは沖永良部島の、さらには奄美諸島の活性化について、「今ここでの暮らし方」をそのまま肯定することがカギになることを教える。現状のままで開き直ることが地域の活性化につながる、という逆説が成り立つ。一重一瓶の風習は衰退したかのように見えるが、みじらしゃ通りの淀んだ空気の「心地よさ」のなかに生きている。外からは沈滞しているように見えても、滅びたりはしないのが、みじらしゃ通りの底力なのである。大繁盛を求めたりしないのが、通り会の商店主たちの余裕である。
いまでは、心のゆとりを求めるのが「市街地活性化」のトレンドだ。だとすれば、それはすでにここにある。ここで必要なのは、ただ一つ、開き直ること、それだけでよい。そして、一重一瓶の風習を復活させるのではなく、そういうのがあったなと思い出すだけでよい。自分の都合を優先させ、祭などには参加したいときだけ参加し、たいていは知らん顔して傍観者を決め込み、数少ない通行人や車の動きをじっと目で追って、日を暮らす。それでよいのだ。なにしろ、隣近所みな互いに顔見知りだから、引きこもっていても近所の関心をひく。それでいて、みな儀礼的無関心の態度をとり、近所の交際はほとんど都会的な様相を示す。一重一瓶の風習のなかに混在する田舎的な要素と都会的な要素は、和泊町みじらしゃ通り会のなかにも見いだすことができる。それを自覚することが活性化の武器になるが、もちろん自覚しなくても問題はない。
つまり、誰も力む必要がない。本土や隣県(沖縄県)の「成功事例」を見習う必要もない。外部の要素を内部に注入する企ては必ず失敗するだろう。よそで「成功した」ことがらが、その後何年持続されているだろうか。じつは、大半が尻すぼみなのではないか。そして、その何倍もの数の地域では企てが最初から失敗しているのではないか。全国各地の諸経験からえられる教訓は、目に見える形での成功を追求するのはしんどい、ってことだ。だから、最近は目に見えないところ、つまり地域への帰属意識の高まりとか、地域の誇りのとりもどしなどがテーマとなりがちである。
それなら、みじらしゃ通りは大丈夫。商店主たちはちょっと開き直ればよい。通りの沈滞を誇りとし、客の少なさを楽しみ、ヒマの多さを喜べばよい。それだけで十分、新しいコミュニティのあり方を先取りできることになる。
以上、いささかアクロバチックながら、われわれが沖永良部島の「みじらしゃ通り」から引き出しうる「教訓」について考察した。
注
- 「コンパクトでにぎわいあふれるまちづくりを目指して」、産業構造審議会流通部会・中小企業政策審議会経営支援分科会商業部会 合同会議中間取りまとめ(案)、2005年9月。[この引用部分は7月に出た案に付加されたもの]
中間とりまとめ(案)のPDF文書は以下から入手できる。
http://www.meti.go.jp/feedback/downloadfiles/i50921cj.pdf
また、それに添付される参考資料集については
http://www.meti.go.jp/feedback//downloadfiles/i50921dj.pdf
関連事例集(成功事例など)については
http://www.meti.go.jp/feedback/downloadfiles/i50921ej.pdf
- じっさい、消極的な商店主たちからも話を聞いたが、それぞれのあいだで温度の差がかなり(非和解的なぐらい)あるように思われた。また、みじらしゃ通りのそばにある公民館の前や、郊外のAコープ和泊店の駐車場で開かれていたバザーで、人をつかまえて話を聞いた。すると、みじらしゃ通りに対して一般の町民が向けるまなざしは決して暖かいものでないことがわかった。さらに、通り会のなかにある農協でも、ある職員から話を聞いたが、彼はみじらしゃ通りには全く帰属意識をもたず、この通りの浮沈は商店街の「自助努力」によるしかない、という。農協は組合員の暮らしや経営状態、Aコープの発展には関心があっても、みじらしゃ通りの存亡興廃には興味がなさそうであった。コミュニティ機能という概念とも、あまりなじみがなさそうであった。
- この「中間とりまとめ」が読者に多少ともイキイキとした印象を与えているとすれば、それは委員の中に中心市街地活性化のカリスマ的な伝道師、藻谷浩介氏(日本政策投資銀行地域企画部参事)が含まれているからではないかと思われる。藻谷氏は日本全国の市町村(数年前の数え方では三千数百)をくまなく「自腹で」まわったことを自らの強みとする。そして、弁舌も巧みで聴衆を納得させる話の組み立て方はほとんど「芸」の域に達している。この合同部会でも、その技と知識を遺憾なく発揮・披露したことであろう。
- 矢作弘『大型店とまちづくり』、岩波新書、2005年7月、30〜31ページ。
- 同上、186〜187ページ。
- この本は10年前の『良い店悪い店の法則』(日本経済新聞社、1995年)にマンガを加えたもの。わかりやすく読みやすかったので、私もゼミのテキストに利用していたほどだが、文庫化された上にマンガが加わってさらに便利になった。
- 馬渕哲・南條恵『マンガでわかる良い店悪い店の法則』、日経ビジネス人文庫、2004年4月、173〜174ページ。
- 一見マイナス面とされる部分に、島外者は魅力を覚える。それを島尾敏雄は『島にて』(冬樹社、1967年)のなかで、つぎのように美しく表現してみせた。
「もうひとつ文学的刺激を受けた感想があります。それは奄美には文化遺産的なものが全くないということ、そしてそれはひとつのショックです。と同時に私はその状態に強くひきつけられました。こんなになにもないところは他にどこにもないのではないかということなのです。[……]すこし文学的な言い方を許してもらえば、そのなにもないというところに、奄美のすさまじさのようなものがあるのだという感じがする」『島尾敏雄全集』第16巻所収、晶文社、1982年、212および214ページ。
- 蒲生正男「奄美社会」、大間知篤三ほか編『日本民俗学大系』第12巻(奄美・沖縄の民俗)、平凡社、1985年、所収。ただし、ここでの引用は以下の Webページ(MANA事典)の「一種一瓶(いっしゅいっぺい)」の項からの孫引き。
http://www.manabook.jp/manajiten-memo.htm
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